ジャズの新星Samara Joyの奇蹟。
BY FEEL ANYWHERE
2023.05.01
サマラ・ジョイという名前は、まだ多くの人々に知られていない。しかし、彼女の音楽に触れた人々は、彼女がジャズシンガーの新たな才能であることを知っている。
2022年にジャズの名門レーベル・ヴァーヴと契約し、9月にメジャーデビューアルバム『Linger Awhile(リンガー・アワイル)」をリリース。そのわずか半年後に開催された第65回グラミー賞授賞式では〈最優秀ジャズ・ヴォーカル・アルバム賞〉を受賞。さらに世界的に話題となっているイタリアのバンド・マネスキンや、注目の女性ラッパーであるラトーなどを抑え、ジャズシンガーであるサマラ・ジョイが〈最優秀新人賞〉を獲得したのだ。ジャズシンガーがグラミー賞で〈最優秀新人賞〉を獲得するのは、2011年のエスペランサ・スポルディング以来12年ぶり。しかも今回のメジャーデビューから半年にも満たないタイミングでの受賞は、歴史的快挙と言える。
突如、アメリカのエンターテインメント・シーンに躍り出た23歳のサマラ・ジョイ。今回のアーティクルでは、アメリカでこれほどまでにサマラ・ジョイが注目されている理由を掘り下げていきたい。
SAMARA JOY Performs “Can’t Get Out Of This Mood” | 2023 GRAMMYs
グラミー授賞式でのステージ。この歌声が〈グラミー最優秀新人賞〉に輝いた。
サマラ・ジョイがオーセンティックなジャズにこだわる原点
サマラ・ジョイ(以下、サマラ)は1999年にNYブロンクスで生まれ、祖父母は有名ゴスペル・グルーブThe Savettesのメンバーであり、父親もゴスペルシンガーという常に音楽が絶えることのない家庭に育った。幼い頃にサマラはどんな音楽体験に巡り合ったのだろう。そのひとつは幼い頃、歌の場所だった教会だ。特に印象的な出来事は、6歳の時に聖歌隊で歌ったクリスマス礼拝の歌唱だった。幼いサマラの歌声は教会の中に響き渡り、聴衆を魅了したという。そして彼女の祖母は礼拝後に、彼女の歌声の素晴らしさを褒め、その言葉を聞き彼女は歌うことの喜びを知ったのだという。
もうひとつの出来事は、7歳の時に家族旅行で訪れたニューオリンズだ。ジャズの本場の地であるニューオリンズは、ストリート・パフォーマーたちが演奏するジャズの生演奏で溢れ、初めて聴くジャズの音の美しさと自由な表現にサマラは魅了された。そしてジャズのように自分自身が持つ音楽的な感覚と、聴いた音楽の美しさを掛け合わせた自由な音楽的表現をしたいという夢を描き始めたという。
サマラの歌うジャズはR&Bやラップやテクニカルなものを取り入れたジャズではなく、エラ・フィッツジェラルドやサラ・ヴォーンなどを思わせる極めてオールドスタイルだ。彼女がオーセンティックにジャズを歌う理由は、幼かった彼女の感動が原点であったのかもしれない。そして同時に、黒人音楽の原点である教会で出会った歌や、ジャズが生まれたニューオリンズの音楽文化への敬意を忘れていないからかもしれない。いずれにしても、サマラの音楽的なアイデンティティを形成する上で、この2つのエピソードは大きな役割を果たしているように思う。
次世代ジャズの新生サマラ・ジョイ誕生の瞬間
THE TONIGHT SHOW STARRING JIMMY FALLON -- Episode 1801 -- Pictured: Musical guest Samara Joy performs on Thursday, February 16, 2023 -- (Photo by: Todd Owyoung/NBC via Getty Images)
その後、サマラはフォーダム芸術高校に入学。所属したジャズバンド部で歌唱を担当し、学校の音楽祭や地元のコミュニティセンターで開催されるイベントなどに出演している。そんな普通のハイスクール生活をおくっていた中でも、エッセンシャリー・エリントン・フェスティバル(Jazz at Lincoln Centerが主催する高校のコンテスト)でベストボーカリスト賞を受賞するなど、ジャズボーカリストとしての才能を開花させ始めた。
サマラが専門的な方法で初めてジャズを学び始めるのは、ニューヨーク州立大学パーチェスカレッジのジャズプログラムに入学してからだ。そしてここで思いもよらなかった幸運がサマラに訪れる。アメリカを代表するジャズシンガーのエラ・フィッツジェラルドにちなんで名付けられた奨学金プログラム 〈Ella Fitzgerald Scholarship〉に選ばれ、サマラは4年間に渡って学費や書籍代を支援されることになったのだ。このプログラムは音楽教育の支援だけでなく、エラ・フィッツジェラルドの偉大な遺産を後世に伝えることも目的とされ、将来的に音楽の世界で活躍することへの期待がうたわれている。サマラのジャズへの敬意とモチベーションがますます高まっていく大きな出来事になったはずだ。
大学がサマラを奨学生に選んだ後に、財団への感謝の気持ちを込めてジャズ学科の講師で、ジャズピアニストのピート・マリンバーニの伴奏でエラ・フィッツジェラルドの曲を歌った時の動画。これが100万回以上再生されるなどサマラの名前を広めるきっかけとなった。
さらに州立大在籍時の2019年に、世界最大のジャズ・ヴォーカル・コンペティション〈Sarah Vaughan International Jazz Vocal Competition〉で優勝。19歳という年齢で優勝したことは、音楽シーンに大きな衝撃を与えた。
わずか十代で世界最大のジャズ・ヴォーカル・コンペティションで優勝するというのは非常に稀なことであり、最年少優勝者としてギネス世界記録に認定されるまでに至ったのだ。サマラは新しい時代のジャズ界の新星として大きな注目を集めていくことになる。
サマラに宿るサラ・ヴォーンとエラ・フィッツジェラルド
コンペティションで優勝したサマラは、大学在学中にセルフタイトルのデビューアルバム『Samara Joy』を発表。アルバムには往年のジャズ・スタンダードから、サマラ自身によるオリジナル曲まで幅広い曲が収録された。彼女の歌唱力はもちろん、独特の音色と豊かな表現力に批評家たちは驚愕した。オスカー女優であるレジーナ・キングもそのひとりで、彼女の音楽的な才能に深い感銘を受け、次のように称えている。
“サラ・ヴォーンとエラ・フィッツジェラルドの両方が
彼女の体に住んでいるように見える”
サラ・ヴォーンのような深みやセクシーさ、エラ・フィッツジェラルドのような技術的なスキルや芸術性をサマラから感じ取ったのかもしれない。そしてレジーナ・キングが、過去の偉大な歌手たちの影響を受けながらも、新しい時代の音楽の流れを取り入れ、新しい音楽的な表現を生み出しているサマラへ賞賛をおくっている。この言葉にサラマは感激し、自身のインスタグラムでも感謝の言葉を述べている。
またこのアルバムには、ジャズ界の若き新星ギタリストとして名を高めてるパスクァーレ・グラッソ(以下 パスクァーレ)と共演していることにも驚かされた。パスクァーレもまた、パット・メセニーが「これまで聴いた中で最高のギタリスト」と評した類稀な才能を持つ若きジャズギタリストだ。ただし、この「ジャズ界の新星の共演」は意図的なコラボレーションではなかった、なんとパスクァーレはサマラの大学の講師であり、誰よりサマラの才能を間近で見続けていた関係性でもあったのだ。
数々のアーティストたちが歌ってきた「Stardust」。まるで1960年代にタイムトリップしたような空気感を醸し出しながらも、サマラのパスクァーレの共演により新しい息吹が吹き込まれている。
パスクァーレは基本的には自身のトリオもしくはソロでしか演奏しないのだが、例外的に共演をしているのがサマラだ。『Pasquale Plays Duke』(2021) 、『Be-Bop! 』(2022)の自身のアルバムでもサマラをゲストボーカルで参加させるなど、彼女の成功を導いた存在と言える。パスクァーレもまた1930年代から50年代までのオールドスタイルのジャズを愛していたことから、サマラとのコラボレーションはごく自然なプロセスだったのだろう。
そしてサマラはこの勢いに乗り「モンントレー・ジャズ・フェスティバル」や「ニューポート・ジャズ・フェスティバル」など著名なジャズ・フェスティバルへの出演を重ね、新たなジャズシンガーのスターとしての認知をますます広げていく。
Pasquale Grasso - Solitude (Official Video) ft. Samara Joy
デビューアルバム『Samara Joy』と同時期に発表された「Solitude」。スタンダードジャズのミュージックビデオとしては驚異的な約150万もの再生を記録、この成果がサマラの活動フィールドを広げていった。
ノスタルジックさとフューチャリスティックさを持つサマラのジャズ
そして遂に、サマラは、エラ・フィッツジェラルドやサラ・ヴォーン、ビリー・ホリデイも所属していたジャズの名門レーベルであるヴァーヴと契約。2022年9月にメジャーデビューアルバム 『Linger Awhile』を発表する。収録曲にはサラ・ヴォーンの代表曲とも言える「MISTY」や、エラ・フィッツジェラルドも好んで歌ったガーシュウィンの「Someone to Watch Over Me」なども取りあげている。きっと偉大なボーカリストたちと重ね合わせて聴いている人も多かったことだろう。またこのアルバムは、サマラが愛するスタンダードナンバーを彼女流にアレンジし、楽器のソリストが奏でた即興のメロディに合わせて歌詞を当てはめて歌うヴォカリーズと呼ばれるスタイルで制作されている。まさにジャズシンガーとしての醍醐味にも溢れたアルバムだ。
Samara Joy - Guess Who I Saw Today
1950年代に公演されたブロードウェイミュージカル『New Faces Of 1952』の中で歌われたのが「Guess Who I Saw Today」。
ナンシー・ウィルソンの名曲ナンバーとして知られている。
一方で、このアルバムは普段はジャズに関心のない人たちに、ジャズを繋いでいく可能性を秘めた重要なアルバムという側面も持っている。サマラはSNSも積極的に活用していて、彼女のTikTokは55万人、Instagramは33万人(2023年4月時点)とジャズ界においては異例のフォロワーを獲得している。しかも踊ったり、奇をてらった動画ではなくシンプルに歌を伝えていくものばかりだ。そんな日常の中でジャズに触れて、興味を持つ人が増えていけばどんなに素晴らしいことだろう。
自身のインスタグラムでシンプルに歌の素晴らしさを伝えている
2022年9月のメジャーデビューからたった半年で、サマラはグラミー授賞式のステージで大喝采のステージに立っていたのだ。
そのステージでサマラはこんなスピーチを残している。
“いま、目の前にいるみなさんが私にインスピレーションを与えてくれました。
みなさん一人一人が、あなたらしく自分を表現してくれたから、私は私になれました。
だから、この世に生まれてきた私のままで、
ここにいられることに、ありがとうと感謝の言葉しかありません”
SAMARA JOY Wins Best New Artist | 2023 GRAMMYs Acceptance Speech
オールドスタイルな歌唱を追求するサマラへの支持が集まる理由はなんなのだろう。その理由のひとつは、アメリカ音楽の原点を見直す潮流が生まれていることもあるだろう。シルク・ソニックが70年代のR&Bをオマージュし、ビヨンセにもまた黒人音楽のルーツを取り入れるこだわりを感じることができる。そんな背景の中で、さらにルーツを突き詰めているのがサマラなのだろう。特に黒人が差別される中で、先人のジャズシンガーたちは、黒人の権利や地位向上の役割を担ってきた。
サマラはかつて自身のインスタグラムで、彼女が身近に感じた黒人の差別的扱いを記している
幼い頃から音楽に敬意を払い、偉大なアーティストたちにサマラは真摯に向きあってきた。聴く人は様々なインスピレーションを彼女から感じているのではないかと思える。そしてロックもポップスも時代の流れとともにスタイルを変えてきた中で、過去の数々の名曲を歌い継いでいるのがジャズシンガーたちだ。過去の偉大な音楽遺産を23歳の若いサマラが歌う姿に、人々は心を打たれ、ジャズという音楽の扉を開けてみたくなる。そんな存在がサマラ・ジョイなのだと思う。
オールドスタイルでスタンダード・ジャズを歌っていても、その曲が書かれた数十年前の情感や質感をそのまま表現するのではなく、現代にも通用する情感を巧みに抜き出し、それを的確に歌うサマラ。この時代に彼女の歌声と過ごせる私たちは、なんと幸運なことだろう。
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