全米音楽シーンを代表するアイコンに上り詰めたH.E.R.のこれまでとこれから。

BY FEEL ANYWHERE
2022.07.26

3年振りに海外アーティスト勢が参加して開催される「FUJI ROCK FESTIVAL 2022」や「SUMMER SONIC 2022」。密かにラインナップされることを期待していたのが、いまアメリカを中心に注目が高まっている、現在23歳の女性R&B系シンガーソングライターのH.E.R.(ハー)。残念ながらその希望は叶えられなかった。何故ならいま彼女は、全世界でのトータルセールスを1億枚以上記録し、グラミーを7回受賞しているロックバンド、コールドプレイのワールド・ツアーのオープニング・アクト・アーティストとして、アメリカやヨーロッパを飛び回っているからだ。さらにその合間を縫ってオスロで開催される音楽フェス「Øyafestivalen 2022」や、フランスで開催される「Nice Jazz Festival 」への出演などで、実に多忙な時間を過ごしている。

H.E.R. Opening for Coldplay at Soldier Field, Chicago in 4K – Night One – May 28, 2022

世界が認めるトップクラスのコールドプレイが、H.E.R.を指名してのワールドツアーへの帯同は、彼女の名前を確固たるものにする非常に重要な出来事だ。

また、コールドプレイのメンバーがSNSに投稿した、彼らの名曲「フィックス・ユー」をH.E.R.と4人のコーラス隊がバックステージで歌う動画も大きな反響を呼んでいる。投稿のコメントには“ツアーで毎晩この歌声を聴けるなんて本当にラッキーだ”とも綴られている。コールドプレイを夢中にさせたH.E.R.とは何者なのか?今回の特集で紹介していこう。

早熟過ぎるH.E.R.の10代伝説。

1997年6月27日、H.E.R.こと、ガブリエラ・ウィルソンはカリフォルニア州ヴァレーホでフィリピン人の母とアフリカ系アメリカ人の父との間に生まれた。 音楽一家の両親の元、3歳の頃からピアノ、ギター、ベース、ドラムなど複数の楽器の教育を受け、5歳の頃には作詞作曲もスタート。10歳の時に彼女は人気音楽番組「Today Show」に出演し、見事なピアノとボーカルパフォーマンスでアリシア・キーズの「If I Ain’t Got You」を披露し、視聴者を圧倒した。

Gabi Wilson (H.E.R.) age 10 on the Today Show performing Alicia Keys
※低音がズンとくる歌唱力と、その表現力はこの頃にすでに芽生え始めていた。

彼女は他のコンクール系の人気音楽番組にもたびたび出演し「話題の音楽少女」として知られるようになっていく。そんな中で14歳の時にメジャーレーベルのRCAレーベルと契約し、本名のガブリエラ・ウィルソンとして「Something to Prove」(2014) をリリースする。この曲はサンプリング・ソースの定番曲としてもお馴染みなアイズレー・ブラザーズの「Between the Sheets」をリメイクしたものだが、14歳の少女が歌うクオリティ高い表現力にR&Bファンの間で大きな話題となっていった。

Gabi Wilson – Something to Prove (Audio)

しかし、このガブリエラ・ウィルソンとしての作品リリースはこの1枚のみで、その後2年間の活動を休止する。

“その年齢の私は、アーティストがどういうものか理解できていなかった。 そして、自分がどんなアーティストになりたいのか そして本当に自分の歌で表現したいものを見つけなければならなかった。 私はもう少し考える時間が必要だったの”

その後、彼女が19歳になった2016年、H.E.R.名義で活動を再開。時間をかけて制作されたのがデビューEP「H.E.R. Volume 1」(2016)だった。内容の素晴らしさはさることながら、オフィシャルのアートワークは常にシルエットで情報発信もほとんどされないなど、ミステリアスなシンガーとしても話題となっていく。

Gabi Wilson – Something to Prove (Audio)

流行や話題の移り変わりが加速し始めた時期だったにもかかわらず、その後の2ndEP「H.E.R. Volume 2」 (2017) のリリースは、約1年後というスローペース。アッシャーやアリシア・キーズ、リアーナなどの著名アーティストたちも反応し、SNSで拡散される中で、〈H.E.R.〉という記号的なワードはさらに関心度を増していく。そして、ファンの間では声やシルエットがガブリエラ・ウィルソンに似ているということや、ガブリエラ・ウィルソンと同じRCAレーベルからリリースされていることなどから、「H.E.R.とガブリエラ・ウィルソンは同一人物なのでは?」と噂されるようになっていった。

その4ヶ月後の2017年10月に3rdEP『H.E.R. Vol.2, The B Sides』と、それまでの3枚のEPをまとめたコンピレーション・アルバム『H.E.R.』を立て続けにリリース。『H.E.R.』はBillboardトップR&Bアルバムチャートで1位を獲得する。その神秘的な歌声と、甘美でアンビエントな世界観は “ザ・フューチャー・オブ・R&B”と称されるようになる。

H.E.R. – Avenue (Official Video)
※「H.E.R. Volume 2」収録の「Avenue」のMVではH.E.R.の姿が少しずつ明らかに。

またH.E.R.という名前の由来は「彼女」という意味を指すものではなく、「Having Everything Revealed」の略称で「すべてをさらけ出す」と言った意味を持っているという。正体を明かさなかったのは、自身の音楽のメッセージをより的確に受けとって欲しいという理由だったようだ。

“私がどんな人と一緒にいるかとか、
関係ない情報を気にせずに私の音楽を聴いてもらえたし
自分も音楽だけに集中することができたの”

音楽というファクターとは別に、若さやルックスという違った関心を持たれていたことをH.E.R.自身が強く感じていたのかもしれない。だからこそ、何にも惑わされずに音楽だけに耳を傾けて、音楽だけで自分を理解して欲しい。そんなH.E.R.の強い意志を感じることができる。

世界を驚かせたグラミー&オスカーの2冠受賞。

H.E.R. Wins Best R&B Album Presented by BTS | 2019 GRAMMYs Acceptance Speech
※『H.E.R.』は自分自身のアイデアだけでなく、素晴らしいチームのおかげだという感謝の言葉を述べ、『H.E.R.』の制作に関わったスタッフたちを壇上に招き入れた。

H.E.R.はこの受賞を思いもしなかった。なぜなら『H.E.R.』は新たにレコーディングされたアルバムではなく、それまでにリリースされた作品をまとめたコンピレーションだったからだ。それは受賞後のスピーチでも明らかだ。

“最初に言いたいのは、これは信じられないことです。 次に、アルバムでもありません。EPなのです”

『H.E.R.』が純然たるオリジナルで制作されたアルバムではなく、既発のEP作品をまとめたものであるにも関わらず、グラミーを受賞できたという、H.E.R.自身の驚きの言葉だった。実際にオリジナル・フルアルバムのリリースは、2ndコンピレーション・アルバム『I Used to Know Her』を挟んで、H.E.R.にとって初めてのレコーディングアルバムとなる『Back of My Mind』(2021)まで待たなければならなかった。

H.E.R. – I Can’t Breathe (Audio)

そんな中でもH.E.R.の快進撃はさらに続く。第63回グラミー賞(2021)では2020年5月に警察によって殺害された亡きジョージ・フロイドや黒人たちに捧げたシングル「I Can’t Breathe」 (2020)が〈最優秀楽曲賞〉に、フィーチャリング参加したロバート・グラスパーの「 Better Than I Imagined 」(2020)が〈最優秀R&Bソング賞〉を受賞し、この年のグラミーでもH.E.R.の存在感を示した。またグラミーだけでなく、アカデミー賞もH.E.R.を放っておかなかった。 実話をもとに米国の政治組織ブラックパンサー党の指導者フレッド・ハンプトンの暗殺事件を描いた映画『Judas and the Black Messiah』の劇中曲となった「Fight For You」(2021)が初ノミネートで見事に〈アカデミー歌曲賞〉を受賞した。同じ年にグラミーとのダブル受賞という快挙を成し遂げた。

Fight For You (From the Original Motion Picture “Judas and the Black Messiah” (Official Video)
※映画『Judas and the Black Messiah』 にH.E.R. が入り込んだようなストーリー仕立てになっている「Fight For You」の MV。

2022年のグラミーでは〈最優秀トラディショナルR&Bパフォーマンス賞〉と5つ目のアワードを獲得した。この賞は主要部門ではないものの、 セールスやチャートなどに関係なく、全体的な卓越性を称える質の高い伝統的なR&Bボーカルパフォーマンスに対して贈られるものだ。過去にはアレサ・フランクリンやテンプテーションズ、最近はLizzoやレデシーなど、キャリアの長いR&Bアーティストが受賞のほとんどだった部門だ。そのように一定基準以上のものが求められるこのアワードで、H.E.R.が歴代最年少の24歳という若さで受賞したということは注目すべきだろう。H.E.R.は音楽トレンドに左右されることなく、実力を持つアーティストとして高く評価された証となった。


R&Bの〈革新〉と〈伝統〉を発信し続けるH.E.R.。

2022年YoutubeシアターでパフォーマンスするH.E.R.。Photo:Scott Dudelson/Getty Images

“ザ・フューチャー・オブ・R&B”と称されるH.E.R.。そこにどんな意味をもつのだろう。それは前述したグラミーの〈最優秀トラディショナルR&Bパフォーマンス賞〉となった対象曲の「Fight For You」で説明できるのではないだろうか。この曲を聴いて何か懐かしさを感じたのが、1971年にリリースされたマービン・ゲイの革新的なアルバム『What’s Going On』へのオマージュ感だ。特にこのアルバムに収録された名曲「Inner City Blues」を思わせるメロディとリズム感もさることながら、H.E.R.のファルセットのゾクゾク感が堪らない。

映画『Judas and the Black Messiah』の時代背景を彷彿させる、1970年代初頭のニューソウルの空気を濃密に感じることができる。それでいてBLMにも通じるテーマ性を持った歌詞の深さが刺さる。実際、2021年に開催された「Global Citizen Live」で、H.E.R.が「Inner City Blues」をカバー・パフォーマンスした映像は必見だ。

H.E.R. Takes The Stage With “Inner City Blues” | Global Citizen Live

Marvin Gaye – Inner City Blues (Make Me Wanna Holler)

このように過去の名曲たちを、しかもジャンルを越えてH.E.R.としての解釈でマッシュアップしたり、サンプリングをしている作品はほかにもある。例えば『H.E.R.』では、人気ラッパー・ドレイクの「JUNGLE」をカバーし大絶賛されていたし、 ロングセールスを記録し、1stフルアルバム『Back of My Mind』に収録された「Damage」は、トランペット奏者ハーブ・アルパートの「Making Love In The Rain」 (1987)をサンプリングした楽曲だ。しっとりとしたムーディーなビートと、80年代ソウルを彷彿とさせる心地よさが表現され、若い世代に新鮮に受け止められた。

H.E.R. – Damage (Official Video)

また2022年夏に公開された映画『ミニオンズ フィーバー』では、劇中歌としてスライ&ザ・ファミリー・ストーンの「Dance to the Music」 (1968) をカバーで披露している。R&Bから派生していきながらも、テイストの違うソウル&ファンクの名曲でH.E.R.の新しい魅力も感じることだろう。 H.E.R.はR&B音楽の〈革新〉と〈伝統〉を同じ軸に置き、それぞれの魅力を発信し続けている。

ギターもベースもドラムも操るH.E.R.の才能。

最後に紹介するのがマルチ・プレイヤーとしてのH.E.R.だ。幼少期から様々な楽器に触れていたH.E.R.は、バンドを構成するギター、ベース、ドラムはもちろん、ピアノやキーボードまでおおよそ全ての楽器を使いこなすことができるどころか、テクニックも音の表現力も超一流だ。 R&Bボーカリストとしてベテランの域に入ったトニ・ブラクストンの「Gotta Move On」では、歌声を披露することはなく、ギタリストとしてゲスト参加するなどの姿も見ることができる。

Toni Braxton – Gotta Move On ft. H.E.R.
※3分すぎ過ぎからモノクロ映像でインサートするH.E.R.のギターソロが痺れる。

またその姿は様々ライブステージで披露されている。H.E.R.がシルエットだけの姿だった頃、彼女の歌声だけでなく、楽器プレイの一挙一動まですべてに私たちは目を見張り、身を委ねることができるなんて誰が想像できていただろう。いまのH.E.R.は彼女の持ってる全てを開放し、それを自身が一番楽しんでいるようだ。特にギターは大好きだったレニー・クラビッツからの影響が大きく、レニーのギタープレイをかなり研究していたそうだ。そんなレニーとは今年度のグラミーでのスペシャルパフォーマンスで夢のギター共演を果たしている。

H.E.R, LENNY KRAVITZ, & TRAVIS BARKER Perform “Damage”, “We Made It” & “Are You Gonna Go My Way”
※「Damage」のエンディングではドラムソロを披露。

天才キッズとして注目されたH.E.R.は、表現力溢れる本格的なアーティストへと見事に成長した。エッジの効いたH.E.R.らしい新しいスタイルのR&Bの楽曲はもちろん、過去の名曲を現代に蘇らせることができるH.E.R.の力量。H.E.R.は〈革新〉と〈伝統〉を同じ軸に置き、それを発信し続けている。これからH.E.R.が、どのように進化していくのかが本当に楽しみだ。そして、早く日本でその姿を見てみたい。

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