世界一稼ぐDJ Calvin Harrisの静かな生活と音楽愛。
BY FEEL ANYWHERE
2023.08.07
エレクトロニック・ミュージックの代名詞であり、現代で最も影響力を持つ数々のダンスポップ ・アンセムを生み出したアーティストとして、世界中に知られているカルヴィン・ハリス(以下、ハリス)。プロデューサー、DJ、そしてシンガーソングライターとしての彼の輝かしいキャリアは、音楽シーンで一大ムーブメントの火付け役となった存在だ。大ヒット曲「We Found Love」は1,000万枚セールスを記録、音楽ストリーミングプラットフォームでは数十億回以上再生されるなど、ハリスの才能とクリエイティビティがどれだけ大きな支持を集めているかは明らかだ。グラミー賞受賞や世界的な音楽フェスでのヘッドライナーを成功させ、アメリカの経済誌フォーブスによる「世界で最も稼ぐDJ」ランキングで2013年から2018年まで6年連続1位に輝くなど、成功に満ち溢れた人物としても知られている。そんなハリスに対して何億円も稼ぎ出すセレブリティとしての顔や、テイラー・スウィフトなど著名人とのロマンスが絶えない、華やかな日々を過ごすイメージを持つ人も多いのではないだろうか。
ハリスが持つこれらの華やかな側面は、どれも間違ってはいない。ただ、彼には華やかさとは異なる側面が存在していることを知る人は多くない。ハリスは突然注目を浴びたわけではなく、音楽を志した10代から数えると実に長い道のりを歩んできた。また、実際のハリスは人目を引くことを避け、プライベートな時間を大切にする控えめな一面を持つ人物でもある。そんなことを知れば、パブリックイメージとは違った顔が見えてくるのではないだろうか。今回のアーティクルではハリスの代表曲とともに、あまり知られていなかった側面を紹介していこう。
音楽に没頭したハリスの10代
ハリスの幼少期はごくごく普通のものだった。1984年にスコットランド南西部にひっそりと佇む人口43,000人の小さな町ダンフリーズで、アダム・リチャード ・ワイルズとして生まれたハリス。特に音楽的なキャリアを持つ家庭の出身でもなく、楽器演奏に熟練した両親がいるわけでもなく、膨大なレコードコレクションがあったわけでもなかった。
そんな小さな町でハリスが夢中になっていたのはラジオだったという。彼自身、90年代のエレクトロニック・ダンス・ミュージックの影響を受けていると度々言及しているように、ラジオから流れてくる1990年代から2000年代初頭にかけてのエレクトロニック・ダンス・ミュージックに夢中になっていたようだ。その当時に脚光を浴びていたのは、先駆的な活動で知られるファットボーイ・スリムやダフト・パンク、ケミカル・ブラザーズたち。ハリスも彼らに胸をときめかせながら、音楽の素養を少しずつ持ち始めたことだろう。またダンフリーズは小さな町であるにもかかわらず、年間を通じていくつかの音楽フェスティバルが開催されていたことも刺激になっていたのかもしれない。
スコットランド南西部のダンフリーズ (Photo by Robin Dessens)
そんな環境の中で育ったハリスは音楽への傾倒をますます深め、自分自身で音楽を作りたいという気持ちを強めていく。地元のスーパーマーケットで働きながら少しずつ音響機材を購入し、ベッドルームはやがてレコーディングスタジオのようになっていった。その小さな空間でサウンドやリズムを実験し、初歩的なトラックを自分で制作することに没頭する日々。そして自分の手で新しいトラックを作り出すことに魅せられ、仕事以外のほとんどの時間を音楽制作に費やし、技術に磨きをかけていった。たった一人で音楽制作に没頭するハリスの姿は、いわゆるオタクというイメージがわかりやすいだろう。後に生み出すヒット曲の先駆けとなるビートやトラックは、この小さな空間が原点となっていたのだ。
しかし、ダンフリーズでの静かな生活は音楽アーティストたちが躍動する世界とは程遠いもので、ハリスは音楽業界の中心に近づく必要があると感じていた。そして18歳になると音楽で成功したいという夢を胸に、一念発起してロンドンに移住する。この決断はハリスにとって大きな変化だった。賑やかで活気に満ちたイギリスの首都・ロンドンは、ダンフリーズの静かな町とはまったく対照的だった。そこは世界的な音楽の中心地であり、たくさんのチャンスやインスピレーションに満ちていた。一方でロンドンでの高い生活費を確保するために、マークス・アンド・スペンサーでの販売員や魚市場で働くなど様々な仕事に就いたという。それでもハリスはロンドンでの生活を謳歌した。彼は多様な音楽シーンの空気感を吸収し、クラブに通う刺激的な日々は彼の音楽制作に常にヒントをもたらしていった。
残念なことに経済的な困難には抗えず、わずか1年後にダンフリーズに戻らなければならなくなる。ロンドンでの滞在は短かったものの、その生活は貴重な経験と教訓となり、彼にとって重要な根幹を作るものになったはずだ。 ダンフリーズに戻ったハリスは、音楽制作にさらに深く対峙する。しかし彼の才能に気付く人はいなかった。
“僕は何年間もデモ音源や CD をレコード会社に送り続けていた。
自分の作品が十分に良いものであることは信じていたけれど、
反応は全くなく、どうにもならなかったんだ”
■ Future Music(2021年2月10日)のインタビューより
ハリスは14歳頃からから20歳頃まで、100件以上のレコード会社やDJへのアプローチを繰り返し続けていた。しかしそれに対するレスポンスはまったく無かったという。彼は音楽を諦める瀬戸際まで追い込まれ疲れ切っていたという。
また「誰も僕のやっていることに興味をもってくれないようだった」とも、当時の胸中を明かしている。
しかし彼はある大胆な行動に出る。何と2005年に自身の音楽レーベルまで設立してしまうのだ。ハリスは「Da Bongos」と「Brighter Days」という2曲を制作し、念願の12インチシングルとしてロンドンでリリースさせることに成功した。
Calvin Harris - Da Bongos (Audio)
これらの曲は彼の最初のプロとしての作品であり、チャンスを自ら作り出したのはハリス自身だった。この時、ハリスは21歳。その行動力によって、自身で制作した音楽をマーケットに流通するシステムを得ることができたのは大きな経験となり、彼のキャリアの成功に大きく繋がっていくことになる。しかし、ハリスが本当にその才能を開花させ、 音楽シーンで成功するまでには、まだしばらく時間がかかる。
SNS時代の幕開けとともに始まるカルヴィン・ハリス伝説
ハリスが2007年にリリースしたメジャー・デビューアルバム『I Created Disco』ほどEDMシーンに対して大きな影響を与えたアルバムはないだろう。このアルバムは、ハリスの世界的な名声への上昇をもたらし、彼が世界の音楽シーンにおける重要なプレーヤーであることを明らかにした。その誕生にまつわるエピソードを紹介しよう。
Calvin Harris - Acceptable in the 80's (Official Video)
それはSNS時代の幕開けとともに訪れる。ハリスはホームスタジオの静かな空間で、すでに『I Created Disco』の原型となるトラックの制作を開始していた。そしてそのデモトラックを当時世界中に広がりを見せていた音楽ソーシャルメディアMyspaceに、真っ先に投稿し始めていた。そのデモトラックが、アメリカで大きな影響力を持つDJ・トミー・サンシャインの耳を釘付けにした。彼はMyspaceで聴いたハリスのデモトラックに感銘を受け、すぐさまコンタクトをとっている。それからわずか半年でハリスはソニーミュージック傘下のコロムビアレコードとのメジャー契約、『I Created Disco』の制作に集中できる環境が出来上がっていく。いまではSNS発で多くのクリエイターたちが誕生しているが、ハリスはその先駆者でもあったのだ。長い間、日の目をみることがなかったハリスにようやくビッグチャンスが訪れる。
Calvin Harris - Interview
フランス最大のブックチェーン「fnac」で『I Created Disco』について語る当時のハリス
このアルバムが 2007年6月にリリースされると、世界中の音楽シーンに旋風を巻き起こした。『I Created Disco』は、80年代にインスパイアされたエレクトロ・ビート、ファンクの要素、そしてユニークにブレンドされた歌詞は当時の一般的なEDMとは一線を画したキャッチーなものであり、その斬新性に若者たちは熱狂していった。ハリスが小さなレコーディングスタジオで没頭し研究された楽曲から生まれた『I Created Disco』は、様々なポップ要素が注入され、キャッチーで中毒性の高いエレクトロニックビートを生み出す彼の才能が詰め込まれている。これらのトラックは世界中のリスナーの共感を呼び、その後のハリスの独特のサウンドを方向付けたのだ。そしてこのアルバムから「Acceptable In the 80's 」と「The Girls」という 2大ヒットシングルが生まれ、どちらも全英シングルチャートでトップ 10 にランクイン、アルバム『I Created Disco』はのちにゴールドディスクを獲得している。
UKからアメリカ&世界へ
ハリスがEDMシーンの寵児になるまで
2ndアルバム『Ready for the Weekend』のリードシングルとして、2009年4月にリリースされた「I’m Not Alone」は、全英シングルチャートでレディー・ガガの「Poker Face」を抑え初登場1位を獲得。 このニュースはアメリカの音楽シーンにも衝撃を与え、ハリスへの関心度を急速に高めていった。そして、時を同じくして、イギリスやオランダなどヨーロッパに端を発するエレクトロニック・ダンス・ミュージックがアメリカで人気を得るようになると、エレクトロニック・ダンス・ミュージック全体を表す経済用語として、EDMという言葉がアメリカの音楽マスメディアによって作られていった。
そんなアメリカでの新たな音楽の潮流が生まれた頃に、ハリスの名前を決定付けたのがリアーナとのコラボレーション曲「We Found Love」だろう。2012年10月にリリースされた3rdアルバム『18 Months』からリードシングルとしてリリースされたこの曲で、遂に全米ビルボード・シングルチャートで1位を記録。ハリス自身にとって初の全米No.1曲ソングに輝き、世界的な大ヒットとなった。アルバム『18 Months』は、全英アルバムチャートで2作連続の1位を獲得したほか、9枚のシングルがトップ10入りする史上初のアルバムという記録を打ち立てている。また第56回グラミー賞では最優秀エレクトロニック/ダンス・アルバム賞にノミネートされるなど、彼の名前はアメリカおよび世界各国で確固たるものになっていく。
Rihanna - We Found Love ft. Calvin Harris
リリースから6年後に「We Found Love」は1,000万枚セールスを突破。EDMシーンの楽曲では初のダイヤモンドディスクに認定された。
『18 Months』で注目したいのが多様な音楽アプローチだ。ソウルフルなフローレンス・ウェルチとの「Sweet Nothing」から、ポップ・プリンセスのエリー・ゴールディングをフィーチャーした「I Need Your Love」まで、様々なアーティストのスタイルに応えるハリスの手腕が輝きを放っている。この柔軟性とハリス独自のサウンドが組み合わさった『18 Months』で、一流のアーティストとしてはもちろん、音楽プロデューサーとしての地位を確立し、EDMシーンの寵児としてハリスが語られるようになっていく。
ハリスは『18 Months』の成功から、さらに新しいスタイルとして提示されたのが2014年にリリースされた4thアルバム『Motion』。このアルバムで彼は、グウェン・ステファニー、HAIM、ビッグ・ショーンなど多くのフィーチャリングアーティストを迎え、さらに野心的な取り組みをおこなっている。前作以上に異なるジャンルのボーカリストたちを、統一感のある感動的なサウンドに融合させたハリスの才能を感じとることができる。特にジョン・ニューマンと共演した「Blame」は、魅力的なダンスビートを維持しながらも、エモーショナルさを生み出せるハリスの能力を感じることができる。
Calvin Harris - Blame ft. John Newman
意味深な感じで登場しているハリス。「Blame」のミュージックビデオの世界観がハリスへのイメージを決定づけけたのかもしれない
そんな『Motion』の中で圧倒的な輝きを放ち、世界中を魅了したのはハリス自身のボーカルソング「Summer」だろう。躍動するリズム、キャッチーなメロディー、夏の恋愛をテーマにした歌詞を兼ね備えた「Summer」は、喜びと自由の感情を呼び起こすような高揚感に溢れ設計された心地よい曲だ。ビーチパーティーや夏のドライビングソング、そして音楽フェスティバルの定番となり、時代を超越した夏の賛歌として世界中を席巻している。
Calvin Harris - Summer (Official Video)
「Summer」はこれまでに16億回再生されているメガヒットチューン
ハリスは自身の声について「僕みたいな声には限界があって、音域も限られている」とラジオステーションBeats 1で語っているが、プロデューサーとしての客観性を持って「Summer」のサウンド感を表現できるのが自身の声だと判断したのかもしれない。
ハリスが感じ始めたEDMという枠の違和感
2016年には自身で楽器演奏やヴォーカルまで務めた意欲作「My Way」をリリースするが、その新曲に自身が興奮できないという違和感が巻き起こる。
“あれ、どうしちゃったんだろう?って感じだったよ。
だから、好きな人たちをいっぱい集めて
ファンクのアルバムを作ろうって思いついたんだ”
■ EDMMAXX(2018年3月8日)のインタビューより
そうして生まれたのがこれまでのEDMスタイルから一線を画し、ファンク、R&B、ポップス、ヒップホップの要素を取り入れたジャンルそのものを多様化させる試みに挑戦した『Funk Wav Bounces: Vol. 1』だ。従来のダンスミュージックのビートやサウンドに加えて、リアルな楽器の演奏やストリングスの使用、ゲストアーティストとのコラボレーションによって、よりオーガニックでソウルフルな音楽を生み出している。たとえば「Slide」ではフランク・オーシャンとミーゴスのクエヴォーがフィーチャリングされ注目を集めた。
Calvin Harris - Funk Wav Bounces Vol. 1 - Album Preview
EDMの限界を押し広げようと常に革新性を追求してきたハリスだが、同時に巨大化したEDMシーンの評論家やオーディエンスからは「ハリスの曲は、もうEDMじゃない」と批判の声を浴びていたのも事実だ。そんな中、ハリスは突如として活動を停止する。EDMが商業的に巨大マーケットとなり、万人が求める音楽を作ることにハリス自身が疑問を持つのと同時に、EDMという枠組みの中での窮屈さや限界も感じ始めていたのかもしれない。
“EDMってやつが本気で大嫌いになっていたんだ。
最悪だって思っていたよ。
で、1年間休みを取ってみたら、いやいや、そんなことないぞ
最高じゃないかって思っているわけさ“
■ EDMMAXX(2018年3月8日)のインタビューより
その言葉通り、2018年から2019年にかけてハリスの音楽的ルーツであるハウス・ミュージックに回帰するかのような「One Kiss (with Dua Lipa)」(全英1位)、「Promises (with Sam Smith)」(全英1位)、「Giant (with Rag’n’Bone Man)」(全英2位)などをリリース。本国UKでの絶対的な人気を見せつけている。かつてベッドルームで音楽制作に没頭していたかのように、ワクワクしていた気持ちでハリスは再び音楽への探究と向き合い始めたのだ。
未来を見据えた音楽エンタテインメントの実業家としてのハリス
2023 Coachella Valley Music And Arts Festival - Weekend 1 - Day 2
ハリスは、音楽シーンでの成功を収めただけでなく音楽産業の発展にも貢献している。21歳の時に設立した自身のレーベルを原点に、現在は才能ある新人アーティストの発掘やサポートに重点を置いたFly Eye Recordsを運営し、 Disciplesや Burnsなど多くの有望なDJや音楽プロデューサーを輩出している。自身の経験と知識を活かし、アーティストたちがクリエイティブな活動を展開できるプラットフォームを提供しているのは素晴らしいことだ。またハリスは、音楽とテクノロジーの融合にも関心を持ち、さまざまなプロジェクトに取り組んでいる。 VRのリーディングブランドであるPICOがスタートさせたバーチャルコンサートシリーズの第1弾アーティストとして「カルヴィン・ハリス・エクスペリエンス」に登場、新しい音楽体験を追求する企業に積極的に協力している。彼の新しい才能を発掘しようとする姿勢やテクノロジーへの関与は、音楽業界の未来への貢献として大きく評価されている。
PICO x Wave | An Immersive Concert Experience with Calvin Harris
また自己のステイタスを高めていく堅実な実業家としても手腕を発揮している。ラスベガスの人気クラブであるHakkasan Nightclubとのレジデント契約をおこない、一晩の出演料が40万ドル(日本円:5,500万円)というライブパフォーマンスを定期的に行う権利を獲得したのだ。多額の出演料はもちろんのこと、ハリスの名前とブランド価値がさらに向上し、さらにビジネスチャンスやプロジェクトにも大きく繋がっていくメリットが絶大だ。同時にハリスはファッション業界とのコラボレーションも積極的に行っている。彼はアルマーニやアディダス、ジョーダン、ジョン・ヴァルベイトスなど 数多くの有名ブランドと提携し、限定コレクションや広告キャンペーンを展開、ハリスのブランド価値を益々大きくさせることに成功している。
Calvin Harris - EDC Las Vegas 2022 (Live Set 4k)
ラスベガスはいまではEDCシーンの聖地。毎年開催される「EDC Las Vegas」には世界中から数十万人の参加者がやってくる。
華麗なステージの裏側にあるハリスの静かな生活
音楽業界は華やかで魅力的に捉える人は多い。特に若者たちを高揚させるEDMは、絶え間なく続くパーティーの世界として見られがちかもしれない。しかしハリスのプライベートはステージ上の彼とはまったく対照的だ。彼の名声が頂点に達した時でさえ、ハリスは比較的目立たないようにしていた。アーティストの中には、定期的にソーシャル メディアで自分の生活や内面を投稿するアーティストもいるが、ハリスは日々のプライベートな出来事の共有より、新しいトラックやステージでのパフォーマンスなど音楽マニア的な視点で発信を続けている。
ハリスの別の側面を一番物語るのが、シンプルで穏やかなライフスタイルだ。それどころか、気を散らすものを避け、ルーティンを切望した日々だ。平日は毎朝フィジカルトレーニングをおこない、野菜中心の朝食をとり、自宅のスタジオで一日中過ごしている。かつては一晩で2本ものジャック・ダニエルを空けていた生活を終わらせ、長い間、酒を絶った生活を実践している。
“部屋で一人でぶらぶらしているほうが断然幸せだね。
子供の頃からずっとそうだけど、自分には趣味さえないんだ。
何か他のことを学ぶのは素晴らしいことだと思うが
自分のレパートリーは非常に限られていると思う”
■ GQ(2020年1月31日)のインタビューより
また何十億もする豪邸に暮らす姿がクローズアップされることの多いハリスだが、彼が最もリラックスできるのは、カリフォルニア州モンテシトの人里離れた静かな町にある別荘での暮らしだ。都会での喧騒や脚光から離れて音楽制作に没頭できる環境で、スキルを磨き、新しいサウンド実験することが何よりも至福な時間なのだという。モンテシトの静かな環境と平和な雰囲気が、間違いなくハリスの音楽的探求にインスピレーションを与えているはずだ。振り返ってみれば、ハリスの音楽制作の情熱は自分だけが没頭できる自宅のベッドルームだった。彼が音楽制作に没頭できる場所は、過去も現在も根本的な違いはない。そして興味と関心の対象は、若い頃と変わることなく音楽への探究心だけなのだろう。
ハリスの音楽の旅はどこまでも続く
コロナ禍の中でパフォーマンスの機会を失ったものの、2022年の夏には前作から5年越しで『Funk Wav Bounces: Vol. 2』をリリース。ゲストに、ジャスティン・ティンバーレイク、ファレル・ウィリアムス、デュア・リパ、チャーリー・プース、スヌープ・ドッグ、ジョルジャ・スミスなど、総勢23組の豪華ゲストが参加している。
Calvin Harris - Stay With Me (Official Video) ft Justin Timberlake, Halsey & Pharrell
新プロジェクト・Love Regeneratorも始動させ、90年代レイヴのテイストを蘇らせるアンダーグラウンド・トラックや王道のハウスに取り組み始めるという新展開で、ハウス・シーンからの支持も獲得している。また盟友・エリー・ゴールディングを迎えた久し振りの新作「Miracle」を2023年3月にリリースし、今後の活動が再び注目されている。
ハリスの音楽に対する姿勢を改めて見つめると、新しい音楽を生み出すことに夢中になっていた若い頃のハリスと何も変わっていなのだと思う。彼の旅は必ずしも平坦なものではなかった。突然の名声と成功に自分を見失うことなく、ペースの速い音楽シーンでのプレッシャーに常に適応し、人々を感動させる音楽を作るという情熱に集中し続けている。小さな町から国際的なスターとなったハリスは、本質的にはやはり何も変わっていないのだ。そしてこれまでの日々から得た教訓や経験、記憶を携え音楽の旅を続けている。そんな彼の旅の軌跡は、夢を抱く勇気のあるすべての人への灯台のように思えてくるのではないだろうか。
PLAYLIST