今だからこそ知るべきBEYONCÉが持ち続ける信念。

BY FEEL ANYWHERE
2022.09.30

「世界中に知れ渡る女性トップアーティストは誰?」という問いかけに、皆さんは誰を思い浮かべるだろうか。数多くのアーティストが登場してきた中で、2000年代を通して君臨し続けているのは間違いなくビヨンセだ。待ち望まれていたニューアルバム『RENAISSANCE (ルネッサンス)』が2022年7月にリリース。『Lemonade』以降の6年間、スタジオレコーディング作品がなかっただけに安心した人も多いことだろう。

ビヨンセはディスティニーズ・チャイルドの中心メンバーとして1997年にデビューすると、パワフルな歌唱力とキレのあるダンスで瞬く間に人気を集めた。ソロ活動でも才能を開花させ、第52回グラミー賞(2010)では主要部門を含む6部門受賞を皮切りに、これまでに、女性アーティストとして史上最多となる累計28個のグラミー賞受賞記録を樹立している。CDトータルセールスは全世界で1億枚以上、ディスティニーズ・チャイルド時代のセールスを加えると1億6,000万枚という桁外れの記録を保持している。

Beyoncé – Crazy In Love ft. JAY Z
※激しくキャッチーな曲とセクシーなMVで全世界を虜にしたデビューシングル「Crazy In Love」は全世界で800万枚のセールスを記録。ビヨンセと言えばこの曲!

世界のトップアーティストとしてのポジションはもちろん、年間100億をコンスタントに稼ぎ出す「世界で最も稼ぐセレブリティ」として、たびたび名を連ねてきたビヨンセ。誰もが彼女に憧れつつも、その途方も無いスケールに気が遠くなり、手の届かない存在として見てしまうことも多いのではないだろうか。確かにそれは事実だ。しかしビヨンセは圧倒的な名声と富を手にしても、そこに安住することも、妥協することもない強い信念を持って生きている。それは自分自身を極限まで追い込み高みを極めようとする態度と、アメリカ社会にある問題を変革しようとする絶え間ない姿勢だ。今回のArticleでは、ビヨンセの中にあるブレることなく持ち続ける内面にフォーカスし紐解くことで、パブリックイメージとは違ったビヨンセを知ってもらいたいと思う。

自分自身をストイックに追い込むビヨンセの強い精神力。

ビヨンセの魅力は歌唱力であることは言うまでもないが、それ以上に強調すべきはダンサーとしてのパフォーマンスだ。露出度の高いセクシーな衣装に目を奪われがちだが、エネルギッシュで力強く高度なダンスは、他のアーティストが真似することのできない唯一無二なものだ。フィジカルのタフさも含め、そのパフォーマンスの凄さがよくわかるのが「Single Ladies」(2008)のMV。ビヨンセのMVとしては派手な演出はなく、数台のカメラで撮影されたシンプルなものだ。しかし、だからこそギミックのないビヨンセのダンスにおける真骨頂を感じられる。最終的にいくつか編集が加えられているが、超極細のハイヒールで3分半の間、ワンカットで休むことなく踊り続けているのだ。その姿は圧巻過ぎで、ダンスに対するビヨンセの揺るぎない自信を感じることができる。特に何度も披露されるハイヒールでの1本脚ターンはまさに神業だ。

Beyoncé – Single Ladies (Put a Ring on It) (Video Version)
※注意深く見ていると時々脚元が震えているのがわかる。それほどタフなダンスなのだ。MVの最後では肩で息をするビヨンセの場面にも注目。

実際、ビヨンセは撮影が終わったあと、倒れ込んでしまい3日間ぐらい歩けなかったそうだ。撮影がどれだけ過酷であったかを想像できるエピソードだ。ビヨンセはかつて、雑誌『GQ』のインタビューで次のように語っている。

“試合前のアスリートは相手だけでなく、
自分自身のプレーもじっくり分析する。
それは、私も同じ”

なぜ彼女は、そこまで自分を追い込み続けることができるのだろうか。

ビヨンセは幼い頃から地元ヒューストンにある教会の聖歌隊に参加し、わずか7歳でソロを担当するなど圧倒的な歌声を持つ少女だったという。そんな彼女を周りの大人たちは放ってはおかなかった。彼女が8歳の頃、ディスティニーズ・チャイルドの前身グループであるガールズ・タイムを結成。そこからビヨンセは、ずっとショービジネスの中で育ってきた。

Star Search Girls Tyme
※貴重なガールズ・タイムのパフォーマンス映像。リードボーカルの女の子がビヨンセだ。当時お蔵入りになったアルバムが『Destiny’s Child: The Untold Story Girls Tyme』として2019年に突如リリースされた。

ディスティニーズ・チャイルドのマネジメントを一手に引き受けていたのが、彼女の父であるマシュー・ノウルズ。彼は幼い少女たちを早朝に叩き起こし、歌いながら公園を延々と走らせるなどのハードなトレーニングを課していたという。また10代の半ばになるとレッスンに専念させるために学校を中退させて、メジャーデビューの機会をうかがいながら地道な活動を続けていく。

“少なくとも音楽業界においては、
私が知っている誰よりも
ひたすら成功のために
努力してきたと思います。
そのためにたくさんの犠牲も払ってきました。
仕事しかなかったんだから、
私はこの幸せや富を受けるに値する人間だって
いつも自分に言い聞かせているんです。”

同年代の少女たちと同じような経験をすることなく毎日を過ごしてきたビヨンセ。彼女の言葉は、誇張ではなく本心なのだろう。ビヨンセが自身に対してストイックなまでに鍛錬し続けることができるタフさの原点は、父親からの指導の厳しさや、ショービジネスで生き残る厳しさを目の当たりにしながら育ってきたことで培われたものだろう。それが現在の妥協を許さない(許されない)姿勢に繋がっているのだろう。

ビヨンセがこだわり続ける「女性の権利」と「人種」の問題。

華やかな話題が絶え間ないビヨンセには、ブレることなく向かいあってきた社会課題がある。それは「女性の権利」と「人種問題」だ。

2010年代に入ってから#MeToo #TimesUpの運動に代表されるように、それまで沈黙されてきた女性の権利や問題を訴えるフェミニズム旋風が、世界各地で急速に拡大し始めた。そのひとつのきっかけはビヨンセの行動でもあったと言える。ソロ活動の当初から楽曲を通じて、彼女は女性の権利についてメッセージを発信し続けている。前述した「Single Ladies」では日常における女性の権利を高らかに歌い上げているし「Run the World (Girls)」(2011) 」のMVでは、女性軍と男性軍が闘う世界にビヨンセが舞い降り、「世界を動かしているのは誰?女の子たち!」という掛け声でダンスバトルを繰り広げるという痛快な内容だった。

Beyoncé – Run the World (Girls) (Official Video)

そしてビヨンセのフェミニズムに対する明確な方向性が提示されたのは、人気音楽番組『MTV VMA』での「***Flawless」 (2014) のパフォーマンスだ。「FEMINIST」という言葉を大きく掲げたステージに立つビヨンセの姿に、多くの人たちがフェミニズムについて改めて考える機会になったのだ。この当時のアメリカでは、音楽シーンだけでなく社会全般においてフェミニズムに対するネガティブ・イメージが強く、ビヨンセの行動は反発を呼ぶリスキーな選択だった。しかしこれ以降、クリスティーナ・アギレラや、テイラー・スウィフトなどの女性アーティストたちが、次々と女性の権利問題をテーマにした楽曲を発表するようになる。ビヨンセの行動は、アーティストやクリエイターたちの考えにも風穴を開けていくものになったのだ。ビヨンセは2016年の雑誌『ELLE UK』のインタビューで、フェミニズムについて次のように語っている。

“フェミニストの定義を
楽曲やコンサートで発信した理由は、
プロパガンダではないし、
世界に向けて「私はフェミニスト」と
宣言したかったわけでもありません。
本当の意味を明瞭にしたかったのです。
それはとてもシンプル
男性と女性の権利の平等を
信じる者のことなのです。”

そう。ビヨンセは「女性の権利」だけを声高らかに叫ぶのではなく、彼女が実現させたいのは「男性と女性は平等」という当たり前な社会なのだ。

2014 MTV Video Music Awardsでのビヨンセ。Photo:Jason LaVeris/FilmMagic

また、ビヨンセはアメリカの根深い問題である「人種差別」についても、黒人女性としての精神やプロテストを積極的に発信している。その最初の舞台となったのが、2016年に開催されたアメリカの国民的スポーツイベントであるNFLの優勝決定戦『スーパー・ボウル』のハーフタイム・ショーだった。ここでビヨンセは、人種差別を糾弾し、女性と黒人の自覚や誇り、連帯を促すメッセージをテーマにした楽曲「Formation」(2016)を披露する。ビヨンセと女性ダンサーたちが黒ずくめの衣装をまとってパフォーマンスする姿は、1960年代から70年代にかけて黒人解放運動を展開した政治組織・ブラックパンサー党のオマージュそのものだった。それはビヨンセが人種差別に対して、断固戦っていくという姿勢をアメリカ国民に示したものになった。保守系のメディアや政治家からの批判は凄まじかったが、それをわかっていた上でも訴えていったビヨンセの覚悟とメンタルの強さには驚かされる。

Beyoncé – Formation (Official Video)
※洪水に襲われた街で、水没してしまったパトカーに乗ってビヨンセが歌う姿が印象的なMV。

「Formation」が収録されたアルバム『Lemonade』( 2016 )も、ブラック・ライヴズ・マター運動に強く影響された内容で、辛く苦しい中で生きてきた黒人女性の歴史を語っている。またビヨンセ自身もキャリアをスタートさせた頃に信じ難い経験をしている。「君を雑誌の表紙に載せるのは難しい。黒人が表紙の雑誌なんて売れないからって」という耐え難い言葉を投げつけられていたことを、2018年の『Vogue』表紙を飾った時に初めて明かした。女性の権利拡大のため積極的にメッセージを発信してきたビヨンセだが、この頃から黒人女性として人種問題に大きく一歩踏み込み、自分のアイデンティティと向き合う覚悟を決めたように思う。

ジェイ・Zに注がれるビヨンセの一途な愛情。

そんなビヨンセを支える最愛のパートナーが、音楽プロデューサーと実業家の顔を併せ持つ世界的なラッパーであるジェイ・Z(以下 ジェイ)だ。二人が出会ったのは2000年。ビヨンセが18歳、ジェイが30歳の時だった。二人は信頼し合えるパートナーとなり、ビヨンセのソロデビュー曲「Crazy In Love」以降、数々のコラボレーション作品を生み出していく。

JAY-Z – ’03 Bonnie & Clyde ft. Beyoncé Knowles
※二人の初コラボとなったジェイ・Zの楽曲「’03ボニー&クライドfeat.ビヨンセ・ノウルズ」(2002)。この翌年にビヨンセがリリースしたソロデビュー曲「クレイジー・イン・ラヴ」が大ヒットすることに。

やがて仕事上の関係から恋愛関係に発展していくのだが、もともとはジェイの一目惚れから始まったものだった。しかしこの二人はすぐに恋に落ちたわけではなかった。最初は電話をするだけの関係のみで、初デートするまで2年もかかったのだとか。世界のトップスター同士の恋の始まりとしては、想像できないほどのピュアなエピソードだ。またビヨンセは17歳まで4年間交際したボーイフレンドがいたが、その関係はキス止まりのプラトニックの関係だったいう。つまりビヨンセにとってジェイは、初めての恋人となった男性だった。そんな二人はビヨンセのキャリアを考えながら、結婚するまで約6年に渡りゆっくり愛を育み、2007年に結婚する。 多くの人がこのカップルに憧れ、一挙一動が話題になり、ビヨンセとジェイを一緒に表すBey-Zという非公式ニックネームも生まれていった。

2012年には長女のブルー・アイビー(以下 ブルー)も生まれ順風満帆に見えた二人の結婚生活だったが、2014年にはジェイの浮気が発覚し離婚の危機が訪れた。この時の心境について、ビヨンセはアルバム『Lemonade』 (2016) の中で、夫の不倫への疑いや想いを楽曲に吐露している。それに答えるようにジェイは、この騒動における後悔や謝罪の気持ちをアルバム『4:44』 (2017)で歌った。

二人の今後に心配させられる期間が続いていたが、ファンを安心させたのは結婚9周年にあたる2017年4月4日に公開された「Die With You」のMVだった。この曲は、その2年前の結婚記念日にビヨンセがピアノの弾き語りで、ジェイへの思いを詰め込んだ曲として発表したものだった。その頃、二人の不仲が囁かれていた真っ只中であったにも関わらず、ビヨンセはこの曲でジェイに対する溢れんばかりの愛情を言葉にして歌っている。彼女がジェイをもう一度、信じようとする意思を明確にしているかのような曲だ。「Die With You」のMVではそんな想いが昇華したかのように、二人がデートする初々しい姿や結婚式、ブルーの誕生など、9年間の家族の様子が仲睦まじく綴られている。それは、お互いの関係が再生し始めたことを意味するものだった。

Beyonce and Jay Z – Die With You
※〈あなたと生きたい そう 最後を迎える時も一緒よ〉というビヨンセの言葉は、ジェイに対する最大限の愛情を感じることを確認できる。

時間をかけお互いの関係を修復し続け、カーターという二人のファミリーネームからとったThe Carters(カーター家)というアーティスト名義で、初のコラボレーション・アルバム『Everything Is Love』を2018年に発表する。「すべては愛」を意味するこのアルバムで、これまでお互いのことをあまり話さなかった二人の馴れ初めや、様々なエピソードを歌詞に込めるようになった。そして二人の関係だけではなく子供たちを愛しむ曲も収録されている。またアルバム発売前後で行われた夫婦による初のジョイント・ツアー『ON THE RUN II 』で、多くの時間を過ごし共有することで、お互いを見つめ直すことができたのだろう。

THE CARTERS – APESHIT (Official Video)
※パリのルーブル美術館で撮影されたMV。「モナ・リザ」や「ミロのヴィーナス』など美術史上の名画が次々と登場する。

そして2017年6月。最大の危機を乗り越えた二人の間に、双子の男の子(ルミ)と女の子(サー)が誕生する。しかしこの出産に向けての間、ビヨンセは妊娠中毒症のため体が浮腫み、1ヶ月以上もベッドで安静にしていなければならなかった。また出産の際には、母子ともに命の危険が高まったため、最終的には緊急帝王切開手術となる難産となった。「まるで兵士のようで、私にとって頼もしいサポート係となってくれたの」とビヨンセが振り返っているように、ジェイは献身的に彼女を支え続けたようだ。命懸けとなった出産ではあったが、家族として二人は絆を深めてく。

歴史的偉業と言われるステージをプロデュースし、パフォーマンスしたビヨンセ。

ここで話をビヨンセのキャリアに戻そう。

ヨンセはアルバム『Lemonade』以降、スタジオレコーディング作品を6年間リリースしなかった。新作がリリースされないとアーティストの情報に接する機会が極端に少なくなってしまうが故に、多くの人がビヨンセの存在を忘れがちになってしまうこともあった。しかしこの間、ビヨンセは歴史的偉業と言われるステージを行っていたのだ。

それは2018年のコーチェラ・フェスティバル(以下 コーチェラ)。世界的にもナンバーワンと呼ばれるほどの音楽フェスティバルだが、実はこのコーチェラ、それまでは「白人的」で「男性中心的」なフェスという色合いが強かった。そんなコーチェラにビヨンセは、黒人女性アーティストとしての初のヘッドライナーとして出演することになる。そして、その場所で彼女がこれまで向き合い続けた「女性の権利」「人種差別」をテーマとした壮大なステージをやってのけたのだ。

Beyoncé HOMECOMING Freedom (HQ)

アメリカには白人と黒人が共に学ぶことが許されなかった時代があった。そんな中で「黒人学生にも大学教育を!」という理念で創設されたのが黒人大学(HBCU)で、ビヨンセはこのHBCUをステージで再現させることに没頭する。HBCU現役のマーチングバンドの学生たちをバックバンドとして登場させたほか、ダンサーやドラム・ラインなど総勢200人の黒人学生たちとともに、コーチェラのステージをブラックカルチャー満載に染め上げたのだ。このパフォーマンスの圧巻さはもちろんだが、学生たちとハードなリハーサルをしながら、同時にステージプロデュースをおこなった3ヶ月間のビヨンセの姿は驚くほど精気がみなぎったものだった。

2018年のコーチェラ・フェスティバルにて黒人学生たちと共にパフォーマンスするビヨンセ。Photo:Kevin Mazur/Getty Images for Coachella

またビヨンセ自身の肉体の課題も克服しなければならなかった。出産直後に彼女の体重は100kg近くまでになっていた。そしてルミとサーの出産による彼女の身体に受けたダメージは、リハーサルが始まる段階でも回復していなかった。彼女自身も「元に戻れないと思うときがあった。体も、強さも、持久力も。」とビヨンセにしては珍しく弱音を吐くこともあった。しかし、彼女のプロフェッショナルとしての高いモチベーションで、ここからコーチェラのステージに向き合っていこうとする姿は凄まじい。過酷なリハーサルやトレーニングと並行して、糖質、砂糖、小麦、アルコール、肉、魚などを徹底的に抑えた食事コントロールを行っていく。そして、コーチェラまでの4ヶ月間でかつてと同じ体型にまで追い込み、ステージでは神懸った姿を見せてくれた。想像して欲しい。難産だった出産からわずか半年で、私たちはここまで自分を追い込んでいけるだろうか。

この時の様子はドキュメンタリー映像『HOMECOMING』で観ることができるので必見。『HOMECOMING』を観れば、ここまで紹介してきたビヨンセの信念や行動力を必ず理解できるはずだ。

『HOMECOMING』の中でビヨンセがアーティストとして、そして母として語った印象深い言葉を紹介する。

“15時間も通しで練習できた頃とは違う。
子供も夫も自分の体も
大切にしなければならない。
人生の新しい章が始まり、
新しい女性になった気分よ。
そして前の自分に戻る必要もないのだと。

そう思えるのは子供たちのおかげ。”

『HOMECOMING ビヨンセ・ライブ作品』予告編 – Netflix [HD]
※ライブ・ドキュメントの枠を超え、『HOMECOMING』はビヨンセの生き様までを感じることができる。

新たな世界に進むビヨンセを感じるニューアルバム『RENAISSANCE』。

ビヨンセにとっても、アメリカの音楽シーンの歴史の中でも、大きな爪痕を残したコーチェラフェスを経ての新作への期待。次にビヨンセはどんな世界を提示しようとするのか、本当に楽しみでしかなかった。リリースされたアルバム『RENAISSANCE』において特筆すべきは、これまでのビヨンセの新作プロモーションと違い、サジェスティッド・シングルが「BREAK MY SOUL」の1曲だったこと。また巨額な予算をかけたMVがなく、オフィシャル・ビジュアライザーのみだったこと、そしてアルバム収録曲のほぼすべてが、リリックビデオのみ公開されていることだ (2022年9月10日時点)。これは映像の印象に左右されず、純粋にメッセージとサウンドに向き合って欲しいというビヨンセの明確な意思なのだ。

Beyoncé – BREAK MY SOUL (Official Visualizer)

パンデミックの中、3年を要して制作された『RENAISSANCE』には、ビヨンセにダンスの魅力を教えてくれた、敬愛する亡き叔父・ジョニーに捧げる楽曲「Heated」が収録されている。ゲイだったジョニーはHIVと闘いながら他界しているが、アルバム発売に際してビヨンセは自身のウェブサイトに掲載したライナーノーツで、以下のようにメッセージを添えている。

“ジョニー叔父さんに感謝します。
彼は私の名付け親であり、
このアルバムのインスピレーションとなる
多くの音楽と文化に
初めて触れてくれた人です。”

『RENAISSANCE』は「ビヨンセが、クィア(※性的マイノリティや、既存の性のカテゴリに当てはまらない人々の総称)カルチャーに大きな影響を受けた人間であることを提示したアルバム」とも、アメリカ・メディアで評されている。確かに『RENAISSANCE』には、「Heated」を核としてたくさんのゲイ・アンセムや、クィア・アーティストの楽曲がサンプリングされているし、クィア・コミュニティがルーツとされるディスコからハウスなど、実に多彩なサウンドも織り込まれている。そしてこのアルバムで誰もが感じることは、ビヨンセのこれまでの作品にはない、明確な開放感と気持ち良さだ。

Beyoncé and JAY-Z tell LGBTQ people everywhere they love them at the 30th Annual GLAAD Media Awards
※2019年の LGBTQ+コミュニティのGLADD (中傷と闘うゲイ&レズビアン同盟) アワードで、ジェイとともに特別賞のヴァンガード賞を受賞。ビヨンセは、ここで初めてジョニーの存在と感謝の気持ちを語った。

アルバムがリリースされると、ビヨンセは自身のウェブサイトで次のようなメッセージを掲載した。

“3部作となるこのプロジェクトは、
パンデミック中、
3年かけてレコーディングされました。

このアルバムを作ることで、
私は夢を見ることができ、
逃げる場所を見つけることができました。

私が意図したのは、安全な場所、
判断のない場所を作ることでした。
完璧主義や考え過ぎから解放される場所。
叫び、解放し、自由を感じるための場所。
それは美しい探検の旅でした”

コーチェラで自身のマイノリティやアイデンティティと向き合ったビヨンセは、パンデミックを通して、更につぶさな視点で社会を捉え直し始めたと思える言葉だ。私たちはパンデミックにより抑圧された毎日を余儀なくされ、誰もが早く開放されたいと願ったはずだ。それはマイノリティな人々が日常的に抱いている想いに近いのかもしれない。ビヨンセの言葉と共に、アルバム『RENAISSANCE』を聴いているとそんな思いと想像に駆られてくる。

3部作の最初の作品の位置づけとなる『RENAISSANCE』は、タイトル通りビヨンセが見つけた〈再生・復活〉していく世界に向けて、たくさんのヒントが散りばめられているのだ。そこから浮かび上がるのは〈様々な人々が生きる喜びを謳歌できる権利〉と〈多様性を受け入れることのできる素晴らしき世界〉。そんな究極のテーマを開放的な音楽に乗せて提示してくれるところが、ビヨンセの凄いところだと本当に思う。そう遠くない時期に発表されるだろう『第2幕』『第3幕』で、ビヨンセが私たちに見せてくれる新しい世界がどのようなものになるのかが、楽しみで仕方がない。

それはGLADDアワードで、語った言葉にヒントがあるのかもしれない。

“私たちは全ての人を愛そうということを
訴えるためにここにいます。
まずは近くにいる人をサポートすることから
変えていきましょう。
彼らに愛されていることを伝え
彼らが美しいということを思い出させ、
彼らと語って守ってあげましょう。

そして両親は子供たちの真の姿を
愛してあげましょう。”

母・ビヨンセが見せる素顔。

ビヨンセと愛する子供たち。最後にそのエピソードを紹介したい。ブルーが誕生する前にビヨンセは、数度にわたって流産をするという辛い経験をしていた。だからこそ、ブルーが誕生した喜びはとてつもなく大きかった(ジェイはブルーの泣き声をサンプリングした楽曲「Glory」を誕生から48時間で発表したほどだ)。ビヨンセは「BLUE ft. Blue Ivy」(3thアルバム『BEYONCÉ』に収録)で、初めて娘をフィーチャリング。ブラジルの浜辺で戯れる母子の滋味あふれるシーンと、喋り始めたばかりのブルーの言葉を聞くことができる。ブルーがどれだけ愛されているのかがわかる心温まる楽曲だ。

Beyoncé – Blue (Video) ft. Blue Ivy

また華やかなビヨンセの姿に埋め尽くされているInstagramの中に、ジェイや子供たちとの家族の風景も投稿されている。ブルーの生まれた時からこれまでの成長の様子を追い続けている人も多いことだろう。

2015年のバレンタインに投稿されたブルーとの2ショット。それまではシルエットや後姿だったブルーの顔が初披露された。明らかにビヨンセ似?

ビヨンセの母であるティナ・ノウルズが主催するチャリティーイベント「2020 ウェアラブル・アート・ガラ」で、セレブが「ベタなジョーク」を披露するという企画に参加したビヨンセ。公開された動画の中でビヨンセが話しているとブルーが「ママ、その声はダメ!」と天下のビヨンセにダメ出しする様子が映っている。実にアットホーム感が伝わる貴重な映像だ。

コーチェラのステージに向け自分を追い込む努力をする姿も、社会をより良いものにしようとする強い姿もビヨンセだが、母としての穏やかな姿もまたビヨンセだ。どんなに成功しても挑戦を続け、社会に対しても影響を与えるパワーにもリスペクトされる存在であるのと同時に、今後は母としても、私たちが憧れる新しい母親像を提示してくれることだろう。このArticleに触れて、改めてビヨンセを魅力的に思えてもらえれば幸いだ。知れば知るほど教えられることも多く、そして愛さずにいられない女性、それがビヨンセなのだ。

2014 MTV Video Music Awardsにて、娘ブルーを連れてステージに上がった夫のジェイと母の顔を見せるビヨンセ。Photo:MTV/MTV1415/Getty Images for MTV

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